京大入試問題流出事件の酷い反応を考える。

京大入試問題流出事件は、19歳の浪人生が逮捕されるという結末を迎えた。
この結末それ自体は、いくつかの予想されたシナリオの中でもかなり悲劇的とさえ言えるものだったが、
そのことに直接言及することは避けたい。
ここで考えてみたいのは、今回の流出事件に関してなされたいくつかのコメントや反応である。
ここで扱う反応は、大きくわけて次の3つの論点である。

  • 入試問題や入試制度それ自体に問題があるとする議論。例えば、Yahoo知恵袋で短時間に回答が寄せられるような問題それ自体が悪いとする言説。
  • ネット上の集合知の優位性、ひいてはその優位な知を活用することをむしろ肯定的に捉える言説。
  • 今回の流出事件において京大側のとった対応に問題があったとする言説。

私は、これらの言説に大枠では否定的である。端的に言えばつぎのようにまとめられる。

第1の論点に関して、

  • 数百名の選抜を行う入試問題で重要なことは、公平性・客観性そしていささかの効率性の3点である。面接や論文試験、答えのない問題で知的攻撃力を試すなどの問題は、聞こえは良いが、この3つの点のいずれにも欠陥があり到底同意できない。
  • また、入試問題でもうひとつ重要な点は「差がつく問題」であることだ。得点分布が偏るような出題では合格者を選別できない。知恵袋では答えが得られないような問題にすることは可能だが、それでは選抜の用をなさない問題になってしまう可能性が高い。

第2の論点に関して、

  • 三人寄れば文殊の知恵で、多くの人がリアルタイムで集まって議論することでより良い解決策が得られる、そのためのツールとしてネットが有効であることは否定しない。しかし、入学試験というのは、ある個人が今後アカデミズムの中で実力を発揮できるだけの基礎的実力を要しているかを判断するもので、それはネット上で得られた解決策を丸写しする能力ではない
  • アカデミズムの中や実社会でぶつかる問題には、答えがあるとは限らないという点には同意するが、だからといって答えがある問題は知っている人に聞けばよいという態度には同意できない。答えがある問題を自力で解く能力が十分に備わっていない人に、どうやって未解決の、あるいは答えのない問題を解くことが出来るというのか。未解決であることと答えがないということとに対する認識がゆるすぎる。

第3の論点に関して、

  • 不正を行った側と同様、不正を行われた側の監督責任を問うという姿勢には反対である。たとえ監視カメラの未設置や人員が少ないなどの点があっても、万引きされた店に非があるなどという議論には同意できない。カンニングが仮に明白な犯罪行為であるとは言えないとしても、カンニングを見逃した大学の責任を問うのは間違っている。一にも二にも非があるのはカンニングした当人である。
  • 大学側が連携して受験者リストと答案のチェックを付き合わせれば今回の事件を警察沙汰にすることなく処理できたとする議論は、結果論に過ぎない。今回はたまたま単独犯だっただけで、事件当初は、複数犯の可能性も強く疑われたし、実際に受験した者が同一人物であるかどうかさえ不明だった。また、実際に受験者や答案の突き合せをして、犯人の可能性のある者が数名に絞られたとしても、大学側が該当受験者を聴取することはかなりのリスクを伴う。実際にはカンニングをしていない受験生に疑いを掛けることになるわけだから無実だった場合には、それこそ責任問題になりかねない。
  • 合格発表前に実態が把握されることが望まれる。もし合格発表までに今回の実態が明確にならないと不合格者から試験の無効を申し立てられた場合に難しい対応を迫られかねない。受験者と答案を付き合わせて可能性のある者を絞り込み、京都に呼び出して事情を聴取するという時間的余裕はない。